NECパソコンの歴史 番外編 〜NEC初のノートPC 「PC-9801N」(98NOTE)〜 ライター 山田 祥平

パソコンを持ち歩き、いつでもどこでも使えるというのは、パーソナルコンピューティングに求められた夢のひとつでした。今でこそ、手のひらサイズのスマートフォンがパソコン的に使えるようになっていますが、ここにいたるまでには多くの開発者が試行錯誤があったのです。今回は、NECのノートパソコンの記念碑的な製品98NOTEの登場を振り返ってみましょう。

平成生まれの98NOTE

1989年は昭和が平成になった年です。この年の11月に発売されたNEC初のノート型パソコン「PC-9801N」は、「98NOTE」の愛称を持ち、まさに、98ユーザー待望のパソコンでした。A4ファイルサイズ(縦253mm×横316mm×厚さ44mm)で重量2.9Kgというのは、最新のLaVie Zの諸寸法である縦209mm×横313×厚さ14.9mm、875gと比べると、3枚重ねというイメージでしょうか。でも、当時としては画期的にコンパクトなパソコンだったのです。
実は、この年の7月、東芝がA4ファイルサイズのノートパソコン「Dynabook J-3100SS」の出荷を開始しています。19万8000円という当時としての価格もすごければ「みんなこれを待っていた」というキャッチフレーズも鮮烈でした。当然、この製品は大ベストセラーとなりました。

これはまずい、と思ったのかどうか。NECは4ヶ月後の11月に98NOTEをデビューさせるのです。4ヶ月という短期間で開発してしまったのか、それとも、Dynabookが登場する前から水面下で計画が進められていたのか、今となってはもうわからないのですが、当時の関係者から聞こえてくる話を統合すると、かなりの突貫工事であったことは確かなようです。

「98NOTE」は、その’NOTE’という製品名からもわかるように、パソコンにノート型というカテゴリ名を定着させました。いわゆるクラムシェル型、つまり、液晶とキーボードが貝殻のように一体化したタイプのパソコンを、今、気軽にノートパソコンと呼んでいるわけですが、その名前を定着させたのは98NOTEだったのです。

フロッピーディスク互換をかなえたRAMドライブ

当時は、フロッピーディスクを使ってパソコンを起動するのが一般的でした。今となってはフロッピーディスクを知らない世代がすでに出てきているかもしれません。それでも、Microsoft Wordのメニューを見ると、「上書き保存」や「名前をつけて保存」には、まだ、フロッピーディスクを模したデザインのボタンが使われています。
ハードディスクがまだまだ高価だった時代ですから、据え置きタイプのパソコンでも、フロッピーディスクドライブが主流でした。特に、98シリーズでは2基のフロッピーディスクドライブをフルに使ってアプリケーションを実行することが少なくありませんでした。さらに、日本語環境では、日本語の入力に不可欠なかな漢字変換用の辞書ファイルが必須で、その置き場所も確保する必要があります。

Windowsが一般的に使われるようになったのは、1990年の3.0以降ですから、98NOTE当時の主流パソコン用OSは、MS-DOSでした。フロッピーディスクからOSを起動し、フロッピーディスクに保存しておいたアプリケーションを実行するのです。もちろん、今のようにスリープ機能なんてありません。使うたびにOSを起動していました。

98NOTEにもフロッピーディスクドライブが1基内蔵されていました。さすがに可搬性を考えると2基搭載というわけにはいかなかったようです。でも、2基搭載の据え置き型98シリーズとの互換性を確保するために、RAMドライブという仕組みが用意されたのです。これは、フロッピーディスクと同容量のメモリー領域を確保し、それをあたかもフロッピーディスクのように扱えるようにしたものです。ここに、OSそのものや、よく使うアプリケーションを入れ、そして、かな漢字変換の辞書ファイルを置いておけば、素早く起動できる上、さらに日本語の入力も無音で高速になります。だから、当時のパワーユーザーは、いかに、自分の環境を1.2MBというフロッピーディスクサイズに収めるかにこだわっていました。

ノートパソコン普遍のA4ファイルサイズ

98NOTEは、翌年には「PC-9801NS」となり、ハードディスク内蔵モデルも用意されるようになりました。1991年にはモノクロだった液晶をカラーにし、世界初のTFTカラー液晶搭載の「PC-9801NC」が発売されています。でも、598,000円という価格は、とても手が届くものではありませんでした。欲しくても買えなかったことをよく覚えています。
ただ、この当時はまだインターネットは一般的でもなく、パソコンでのデータ通信はもっぱら文字ベースのパソコン通信サービスが利用されていました。NEC「PC-VAN」や、アスキーネット、NIFTY-Serveなどの全盛期です。これらのサービスを利用するには、モデムと呼ばれる機器を電話回線につなぎ、ダイヤルさせてホストコンピュータをリモコンするのです。モデムが本体に内蔵されるようになったのは、ずっとあとのことですから、最初は、コンパクトなモデムを周辺機器として使っていました。あのころのパソコンにはモデムを接続するために本体にはRS-232Cポートという大きな端子が用意されていました。この端子は、シリアルポートとも呼ばれていますが、今では消滅し、USB端子に取って代わられています。

また、当時のパソコン通信では、グラフィックスが豊富に使われているわけではありませんでしたから、モノクロの液晶でも十分に実用になりました。個人的にも、特にカラーの必要性を感じませんでした。でも、これは買えなかった言い訳の強がりかもしれません。

こうして、今、98NOTEのことを思い出しながら、すべての要素が凝縮されたLaVie Zを使って原稿を書いていると、ほぼ四半世紀という時間の重みを感じます。でも、A4ファイルサイズというサイズ感は変わっていないことに気がつきます。それこそが、かろうじて残っているノートパソコンの普遍性なのでしょうね。
ラップトップパソコン 「PC-98LT」

Dynabookや98NOTEの登場以前、持ち運びのできるコンピュータはラップトップパソコンと呼ばれていました。新聞などでは「膝のせ型パソコン」などと紹介されていました。もちろんNECの「PC-9800シリーズ」にも、ラップトップパソコンとして「PC-98LT」がありました。こちらは1986年11月の発売です。A4ブックサイズを称し、重量は3.8Kgありました。膝の上に載せて使うと、ちょっとした拷問気分を味わうことができました。

ただ、「LT」は、「98」と完全互換ではありませんでした。その後、完全互換を果たした「LVシリーズ」や「LSシリーズ」、「LXシリーズ」が発売されていますが、重量は増えてしまいました。それでも、正真正銘の98を持ち歩けるというのは画期的なことであり、さらに、それを大きく減量することができた98NOTEが、いかに待ち望まれていたかは想像に難くありません。

ちなみに、諸外国ではノートパソコンという言い方は定着せず、未だにラップトップと呼ばれているようです。空港のセキュリティチェックで、係の人が「ラップトップ、ラップトップ」と、荷物から取り出してX線検査機を通すように注意喚起しているのを見ると、それがわかります。

ライター プロフィール

山田 祥平
1957年福井県生まれ。フリーランスライター、元成城大学講師。
インプレスPC Watch連載等幅広くパソコン関連記事を寄稿。単行本も多数。
NEC製品とは、初代PC-9800シリーズからの長いつきあい。
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