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スローフード「ふるさと食風土記」
 
第8回 村上の塩引き鮭 新潟県村上市   朝日連峰に源を発する三面川(みおもてがわ)へと帰ってきた鮭は、 村上の食文化をこれ以上ないほど育ててくれた。 中でも、塩加減一つをとってもこだわりを持つ地元の男たちが 丹精を込めて作り上げる塩引き鮭は、 風と塩に醸し出されて、月日とともに風味を増してくる。 この、まさに味の芸術品とまでいわれる 村上きっての味覚を存分に味わいたいものである。
 
寒風の中村上の男たちが燃える味の芸術品・三面川の塩引き鮭
12月ともなれば遡上を続けてボロボロになった鮭の姿が見れる
12月ともなれば遡上を続けてボロボロになった鮭の姿が
見れる
  2艘の川船が流れに身を任せ、仲良く並んで川面を滑り下りてくる。船尾に立つ漁師の手には、居繰(いぐ)り網を両端にくくり付けた竹竿がしっかり握られている。ほのかに赤みを帯びた鮭の銀鱗が網にかかったかと思った途端、「ほい来た!」のかけ声もろとも、目にもとまらぬ早業で網を手繰り寄せて引き揚げていく。水しぶきを豪快に上げながらも、5キロ以上はあろうかという鮭の巨体が一尾また一尾と、船底に打ち上げられていく。朝日連山に源を発して日本海へと流れる三面川。毎年10月中旬頃から12月中旬頃まで繰り広げられる、伝統の居操網漁の光景である。
 江戸時代には村上藩きっての財源にまでなっていたという三面川の鮭。寛政6年
(1794)には、世界で初めて鮭の回帰性を発見した下級武士・青砥武平次(あおとぶへいじ)が提案した「種川の制」が完成。産卵に適した分流・種川を設けてそこに鮭を導き、産卵させて育てた後、本流の三面川に返してやるというこの方法で、飛躍的に漁獲高が増えた。明治11年には漁獲数73万7000尾を記録。鮭の町村上の名が不動のものとなった。鮭で得た財源は、旧士族達の子弟教育にも使われたことから、立身出世した人を「鮭の子」と呼んだ。
 
「鮭で命を永らえた」
  米が不作の年には鮭で命を永らえたとまで伝えられるほど鮭が豊富にとれたというだけに、鮭料理の数も、飯寿司、鮭味噌など、100種とも200種ともいわれるほど豊富。中でも塩加減や干す場所と時期、風向きなど、村上の男たちが目の色を変えてまでその作り方にこだわるのが塩引き鮭である。鮭の表面のぬめりをこそぎ落とした後、粗塩を尾から頭にかけて丹念にすり込んで寝かせること1週間。これを流水で半日かけて塩抜きした後、北向きの日陰に1ヶ月近く干せば出来上がり。薄くスライスしてそのまま食べる。これをさらに干し続けて、梅雨の湿り気と夏の暑さを乗り越えさせたものが酒びたしと呼ばれる村上ならではの発酵食品である。
味匠喜っ川では、紫外線があたらないようにと、建物内の天井に吊るす
味匠喜っ川では、紫外線があたらないようにと、建物内の天井に吊るす
 
プチプチとした醤油腹子
味の芸術品
  春一番が吹き荒れる頃に食べる塩引き鮭の生ハム風の味わいもいいが、いかつい鮭のツラをじっと睨みながら、7月初旬の村上大祭が始まる頃まで気長に干し続けた後に食べる鮭の酒びたしの味が、何といっても格別。包丁をもはね返すほど固く引き締まった鮭の身を薄く削いで、酒をたっぷり注ぐ。程よい歯ごたえがたまらぬ魅力である。
 「脂の乗った河口の鮭もいいけど、ほどよく脂を削いだ遡上中の鮭も結構おいしいんですよ」という吉田昭一郎氏の割烹吉源で、多彩な鮭料理を味わうもよし、「村上の塩引き鮭こそ、村上の風と塩が醸し出す味の芸術品」と断言する吉川哲■(魚偏に生)(てつお)氏の味匠喜っ川(きっかわ)で、絶品の鮭の酒びたしを買って帰るのもよし。村上の名酒〆張鶴(しめはりつる)を片手に味わえば酒仙にとってこれ以上ない至福のひと時が楽しめる。

(文・写真/藤井勝彦)
 
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